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四万十川、吉野川にならぶ大河、仁淀川のほとりに大勝敬文(おおかつよしふみ)さんの漉き場はあります。日本で和紙の里とよばれるところは、おおむね清涼な河川の近くにありますが、和紙漉きにはきれいな水が近くにあることが大切な条件になっています。Feature 002で紹介するのは、そんな清流のほとりで大勝敬文さんが漉く「板目紙」(いためがみ)です。

「板目紙」とは、ちょっとなじみの薄い和紙かもしれませんが、文字通り、干し板の木目が紙にうつり、美しい木目模様が浮き彫りになった紙のことです。剥がれた木の皮はいったん繊維状にされ、細かい繊維がしっかりとからみ合った紙となり、そこにもう一度木目をつけたこの板目紙は、紙が木からできていることを改めて思い出させてくれるような紙です。


板目紙のできるまで

大勝さんは紙漉きの家に生まれました。祖父の代から数えると紙漉き業70年ほどになります。父は是非とも跡を継いでほしいとは言わなかったけれども、大勝さんは試験所に入り、紙の勉強をしました。自分の家で漉いている紙だけではなく、さまざまな紙が漉けるようになるためです。いまでは紙漉き30年のベテランです。

空気が美味しく、美しい自然に囲まれた大勝さんの漉き場を訪れ、板目紙のできるまでを見せていただきました。漉くところから順を追って、板目紙のできるまでを写真でご覧下さい。

漉和紙の原料としてよく用いられるのは、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)と呼ばれる植物。むろん英語で和紙のことをライスペーパーと呼ぶように、藁(わら)も多く用いられ、竹、桑なども紙の材料として使われてきました。大勝さんの板目紙は、三椏にエスパルトという植物を混ぜます。繊維の短い材料を加えることで紙にふんわり感を与え、木目が出やすくするためです。満足のゆく木目の出方を求めていろいろ試した結果、この材料の組み合わせが、板目紙の特徴をもっとも美しく出せることがわかりました。(photo 1:三椏の木)


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漉き方は溜漉き(photo 2:水と材料にとろろあおいを加えてよく攪拌する)。すくった水が自然に落ちるのを待って型からはずします(photo 3)。ここまでは他の和紙と同じ段取りですが、違うのはここから。というのは、最近では手漉き和紙といえども、乾燥にはステンレス製の乾燥機を使うことが一般的となっています。天候に左右されず、一定のリズムで作業が進められ、均一の質が得られるからです。乾燥機が導入されるまでは、どこの産地でも軒先から庭まで紙を張った板を所狭しと太陽に向けて並べ、乾くと取り入れ、次の紙を張って干す、という作業を繰り返していました。当然のことながら、今や手漉き、天日干しの和紙を作るのは、効率よりも紙の質にこだわる職人さんだけの、こだわりの紙づくりとなってしまいました。

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大勝さんはそんなこだわりの紙漉きを守っています。大勝さんが使う干し板は松。それも古くなって脂(やに)が抜け、木目が立った板を使います。それでも松脂は紙に茶色く残ることがあります。特に天候が悪く、長時間張ったままにしておかなければならないようなときは、あくが出やすくなります。一般的に干し板として好まれてきたのは松ではなく、木目が細かく紙に木目が残りにくい銀杏の木です。書道用紙、障子紙、襖紙、修復用の紙など、表面に凸凹のない均一な紙が要求されたからです。伊野町の土佐和紙工芸村には、幅1メートル近い銀杏の板が、今ではたまにしか使われない天日干しのために保管されていました。
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一枚一枚が異なる木目模様、わずかに異なる色目をもっているのは、その紙が手漉き、天日干しであることの何よりの証です。


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さて、水切りされた和紙をよじれないよう、ふわっと板に広げ、板の節目を避けて並べてゆきます(photo 5)。板干しの工程の中で最も感動的なのは、この次の作業です。大勝さんはおもむろに隣家の庭に赴き、南国の強い陽を受けてぴかぴか光る椿の葉を数枚手折りました。そして椿の葉の表を使って、板に張った紙の上を勢いよくこすり始めました(photo 6,7)。これは板と紙の間に残る空気を追い出し、紙を板に密着させると同時に、紙の繊維を平滑にし、しまった紙質を得るためです。夏場などはこの作業を続けると汗がぽたぽたと滴るといいます。それくらい指先に力と神経を込めてこするのです。中腰の姿勢を続けるので腰が痛くなりそうな作業です。そして、ぴったりと板に密着した紙は燦々と注ぐ太陽を受けて、ぐんぐん乾いてゆきます。乾燥した晴天の日であれば3時間くらいで完全に乾きます。(photo 8)

 

 

 

 

手漉き和紙のちょっと心細い状況

『延喜式』に見られるように、その起源は平安時代に遡るといわれる土佐紙の集大成『土佐和紙大鑑』が1990年に制作されたとき、大勝さんは試験所の指導のもと、古い和紙の復元を行いました。古い紙を見て材料を推測し、漉き方、干し方、染め色の出し方など、完成までに2年をかけての作業でした。 しかしながら、土佐和紙は現在でも生産量の多い産地とはいえ、日本全体の手漉き和紙を見ると、ちょっと心配な数字があります。 日本の手漉き和紙の最盛期1902年(明治34年)における全国生産戸数は68、562戸。それが1976年(昭和51年)636戸、1983年(昭和58年)479戸という具合に、大幅に減少し続けています。全国一の生産量を誇った土佐紙でさえ、和紙作りを専業とする家は現在ではたったの30軒になってしまいました。 しかし、今回明るいニュースを聞きました。それは、土佐にも4名の若い人が独立し、和紙作りの仕事に入ってきたことです。若い職人さんが紙作りの伝統を受け継ぎ、さらに次の世代に伝えてゆくためにも、私たちが暮らしの中でもっともっと和紙を使ってゆくことを考えなければと思います。

 


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