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工房探訪第18弾『山陰に残る倉吉絣の保存会を訪ねて』


『布づくし・展』の出展者を訪ねる工房探訪その18は、鳥取県倉吉市の倉吉絣保存会をお訪ねしました。
染織作家であり、『木綿口伝』(法政大学出版局)などの著者でもある福井貞子さんが会長をしておられます。
倉吉絣は弓浜絣、広瀬絣などとならび、山陰地方に伝わる絵絣です。200年ほど前、稲嶋大助が普及させ、明治初期から大正時代にさかんに作られました。高度成長期をさかいに作り手が減り、今では保存会の女性たちがその技を何とか繋ぎ残そうと努力しています。現在、30名ほどの会員で活動していますが、常設の倉吉ふるさと工芸館では、専従の鈴木峰子さんをはじめ、事業部長の中本泰恵さん,副会長の宇崎弓子さん、石井栄美さん、青木 栄さん、加納和子さんらにお目にかかることができました。

 
   
 
鳥取空港から日本海を右手に、山陰本線の単線を左に見て走ること小一時間。雪に強いといわれる赤瓦をのせた家並みが点在する倉吉の町に着きます。町を東西に流れる玉川にそって白壁土蔵が続いています。倉吉は鉄で栄えた町で、昔は海まで荷をのせた船が玉川を上下していたといいます。船を操る威勢のいい男たちの声が聞こえてきそうな町並みには、栄えた町の象徴のように、今も軒に杉玉をさげたままの造り酒屋が何軒も残っています。

絵絣は経糸と緯糸の両方を括って絵を織り出す経緯絣と、緯糸だけで模様を作ってゆく緯絣があります。経緯絣は柄を真っ白に抜くことができる一方、緯絣は紺色の経糸が通るので、模様が全体にかすれた感じになりますが、曲線をなめらかに出せる利点があります。工芸館に展示されている着尺やのれんは、波に千鳥、さやがた、大胆なジグザグの線に吉祥模様をあしらったもの、町の花である椿をアレンジしたものなど、その図柄はヴァラエティに富んでいます。茶のストライプを加えたり、紺地の部分に緯糸でランダムな藍の色調をだしたものなどもあり、どれも保存会の皆さんの工夫と創意が感じられる仕事ばかりです。
 
   
けれども、中本さんのお話を伺っていると、倉吉絣の将来には頭の痛い問題がいくつかあるようです。ひとつは、本藍で綿糸を染めてくれる紺屋が地元に一軒もなくなってしまったこと。今は、お隣の島根県安来市の染織作家青戸柚美江さんのご子息秀則さんにお願いしていますが、染め上がるまで半年くらい待つそうです。糸の括りについても、いよいよ自分たちで括りの作業も覚えなければならないところまできています。道具を使って括るのですが、両手両足を使う作業なので、若いとはいえない保存会の会員たちが体で覚えこむまでには時間がかかるでしょう、と中本さん。若い女性がもっと関心をもってくれ、括りの技を覚えてくれるといいのですが、保存会が織る程度の本数では、括り手として経済的になりたたないのです。一時期は地元を代表する伝統工芸品でしたが、分業体制がととのっていた地場産業としての規模がなくなり、販路が失われ、主婦の趣味としてするには大掛かりな設備や多岐にわたる技の習熟が必要という条件を思うと、倉吉絣の将来は決して楽観はできないようです。

 

    しかし、いい材料もあります。歴史を感じさせる美しい町並、近くには名湯三朝温泉、伝統の手仕事、この三拍子がそろっているのですから、倉吉は幅広い年代層の観光客を魅了する条件を揃えています。行政がもっともっと力をいれて、魅力ある観光地として全国にアピールしてもいいのではないかと感じました。 もう一つの流れとしては、鳥取短期大学があります。10年前に絣美術館が作られ、明治〜大正期の優れた仕事を収集、保存、展示しています。絣研究室では一般にむけて絣の体験教室を開くなど、ひろく関心を呼びおこす努力がされています。その中心は、伝統工芸士でもある吉田公之助さんです。頭脳となるひと、手足となるひと、それを着たりもったりして楽しむ人がいてこそ、長く培われてきた伝統の手技が未来に続いてゆくのだ、ということを実感させられた倉吉絣でした。
 
    倉吉絣保存会の連絡先:0858−23−2255

(2004/12/よこやまゆうこ)


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