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『新潟県中越地震と小千谷縮』

樋口隆司氏の透明感ある小千谷縮


新潟県中越地震の報道に接したとき、まず頭に浮かんだのは小千谷縮の産地のことだった。OZONEでの『布づくし・展』には、小千谷織物同業協同組合の樋口隆司理事長が縮の着尺を出展してくださり、近々お訪ねしたいと思っていた矢先のこと。ニュースで家々の倒壊の様子を見るにつけ、織機や道具や材料はどのようになっているのだろう、落ちてきた屋根で壊滅状態なのだろうか、また、出機(でばた)で織りをしている年輩の女性たちは、このことで織りをやめたりしないだろうか、と。しかし、問合せやお見舞いの電話で家の片づけ作業が進まないとも聞くにつけ、連絡するのを遠慮してしまっていた。
そんなとき、問屋を対象にした小千谷縮の展示会が京都、名古屋、東京でも開かれると知り取材に伺った。

   

アジアの野蚕の紬。自然の色が美しい。
 
小千谷市では、麻の縮とともに絹の紬も生産されている。組合には縮、紬を含め27社が加入しており、今回の展示会は、組合員の新作を中心とした展示会になるはずだった。ところが、地震のためとりあえずの品揃えとなったようだ。しかし会場には、何やら明るい雰囲気が立ち込めている。応対に多忙な理事長にかわり、組合総務部主任小河康夫さんからお話を伺うことができた。
その明るさのわけは、今回、過去最高の受注数をあげることとなったことだった。京都、名古屋でも、地震被害のため小千谷縮・紬は生産量が大幅に減り稀少価値が出るだろう、と見込んだ問屋筋が注文をだしたのだ。小河氏曰く、“報道は悲惨な面を強調するため、倒れて崩れた織機を映す。痛んだ機でも修理すれば元とおりに使用できるものが大半であるのに、ほとんど壊滅状態のような印象を与えてしまったようだ。それがこの注文につながったのでしょう。”
重要無形文化財としての技術保存協会理事の大渕 茂さんも、激震地の川口町の家はかろうじて倒壊を免れたものの、避難所生活が続いた。でも、織機は無事で、織り上げたばかりの縮も奇跡的に助かったそうだ。そして、地震の2日後、明るい出来事としてとりあげられた男の赤ちゃん誕生のニュース、あれは大渕さんの初孫とのこと。この美しい日本の布を次代につなげてゆくため、これからも大渕さんは優れた技を後継者につないでいってくださるに違いない。

注文の印がついた帯や着尺
 

活発な商談が進む
   


下記に紹介する公式サイトにあるが、小千谷における麻織物の歴史は古く、何と、縄文時代後期とみられる土器に麻布の跡が見られる。強い撚りをかけた緯糸の収縮により独特のシボとよばれる縮みができ、肌にべたつかない夏の布として好まれてきた。また、緯糸に模様をつけて絣とし、最後は雪に晒して透明度をあげることで知られる小千谷縮は、農閑期の手しごととして、冬が長く雪深い新潟県の山村で守られてきた。
小千谷縮の状況を伺うと、ここ2、3年、縮も紬も年々売上げを増やし、男物も伸びている。生産者が少ないので、注文に追いつかない状態であった。そこへ今回の地震。そして予想外の受注。地震は思いもかけない大きな災いではあったものの、制作者らの意気は軒高で、次回の展示会には新作を出したい、とみなさんが思っていらっしゃる。本当にいいものは、どんなに規模は小さくなっても失われることなはい、との思いを強くした。そして、作り手のみなさんの力強い復活の意志をレポートできることは、何とも嬉しい。ちょっとほっとして日本橋の会場を後にした。


現代を感じさせる縞やチェック柄の着尺


小千谷縮/紬についてのサイト:http://www.kougei.or.jp/crafts/0110/m0110.html
小千谷織物同業協同組合のサイト:http://www.ojiya.or.jp/top.php


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