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緯糸で創る複雑な織模様を楽しむ長谷川直子さんを訪ねて


2004年1月のリビングデザインセンターで開かれた『布づくし・展 日本の布200選』に、長谷川さんは草木染の経緯糸とも生糸で織られた繊細な織り模様の着尺を出展してくださいました。
オーストラリアへの旅が大きな方向転換となったとおっしゃる長谷川直子さんの絹の織りは、20年間手がけてきたスエーデン織をやめたところから始まりました。来春の個展が決まり、一気に作品作りのプレッシャーを感じはじめたという長谷川さんを、東京練馬区にお訪ねしました。

長谷川さんはマリン・セランデルという作家の、ウール、麻、綿糸などを使った爽やかな配色の美しい模様の布に触発されて、服地やショール、壁掛けなど、また、スエーデン織の技法の一つであるルーロカン織では、額絵や椅子張り用の布などの作品で、展覧会も幾度か開くところまでになっていました。
ところが、1982年のオーストラリアへの旅をきっかけに、大きく方向転換することとなりました。それは、携えた自作を、かの地のクラフトマンたちに見せたところ、どこでも尋ねられたのは、“これは草木染か”ということでした。羊の国の彼女たちは、自らウール糸を紡ぎ、ユーカリの葉や梅の木苔などで染めた糸で織っていたのです。スエーデン織では化学染料で染めていたので、オーストラリアの自然派クラフトマンたちからは、全く関心を示してもらえないどころか、がっかりした、という表情を見せつけられたのでした。

 
  この体験が強烈なインパクトとなり、帰国した長谷川さんは化学染めとスエーデン織をやめることにしたのです。そして、オーストラリアから取り寄せた羊そのものの色、ナチュラルカラーにこだわって織ってみたり、自分流に草木で染めたりして作品作りを楽しみました。1990年、友人との二人展を最後に、20年あまりも続けてきた今までの織物にきっぱりと別れを告げました。
そこで、より高い芸術性を求めて、正式に絹の染めを習うべく、草木染作家山崎青樹氏の御子息和樹氏のもとに1年間通い、さらに伝統の織りを学ぶべく、大塚末子氏創立の専門学校工芸染織科に入学。若い女性が大半のなか、40才半ばの生徒でしたが、「組織」を作ることに関しては、スエーデン織の経験がものをいい、引け目を感じることはありませんでした。織物の世界で「組織」というと、望みの織柄を作るために経糸・緯糸の関係を方眼紙に描き、機の綜絖(そうこう)と踏み木を結び、組織図を見ながら踏み順を間違えないように織ることを指します。組織によって模様を織り出す技法です。
 
    長谷川さんの着尺の最大の特徴は、この複雑な「組織」です。阿波で染めてもらう本藍の紺と、黄八丈で染めてもらう黄、そして自分で染める草木の色あいを加えて、繊細な模様を織り上げます。例えば、『鱗小波(こけさなみ)』と名づけた作品では、月光を受けて光るさざ波が表現されていたり、『夕焼ける海』では、藍の生葉染めの濃淡のなかに、茜染めの朱色で波に映える夕焼けが表現されています。微妙な色の動きはすべて複雑な「組織」から生まれるのです。
こうした細密な仕事が評価され、1993年には全日本新人染織展に初入選、その後4年連続で入選、横浜シルク博物館主催の染織展でも2度の入選を果しました。
 
    長谷川さんのもう一つのこだわりは、褪色しない色にあります。本藍や黄八丈の黄色をプロに染めてもらうのも、年月による褪色を避けたいと思うからです。化学染めをしてきた人だからこその配慮という気がします。織りの師と呼ぶべき人をもたず、団体に参加することなく独自の道を歩むことは、きっと不便もあるのではと想像します。何ごとにもきっちりしたい性分、とおっしゃる長谷川さん。年に2、3本ずつ織りためた着尺と、ご自分で縫われた仕覆などの小物がそろう2006年5月の銀座での個展が楽しみです。
 
   


(2005/12 よこやまゆうこ)

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