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暮しのなかのテキスタイルを楽しむ広沢麗子さんを訪ねて

立方体を頭の中で“切って”ゆき、“三角錐4個、小正四面体4個、正八面体1個が入っている”などということをちょっと考えてみただけで、頭の中がもやもや〜〜としてきて、代数や幾何に悩んだ幼いころを思い出します。まさに、「算術の少年しのび泣けり夏」(西東三鬼)です。
ところが、田中早穂子さんは、苦手であった立方体に閉口して、“もうこの上は実際に立体を作って、その立体を手に取って考えよう”と思い、ボール紙で作ってしまったのです。最後に現れた正八面体を見つけたときは感動だったとおっしゃいます。この感動がやみつきとなり、明けても暮れても方眼紙、ボール紙、鋏に糊を揃えて、無限にあるという立方体の裁断法にのめり込む日々。ご主人は、毎晩のように枕もとでガサガサと音がするので、“熊が笹を背負っている夢をみた”とおしゃったほど。鶴亀算や植木算が大好きな女の子は、1924年生まれ、今年85歳になられる田中早穂子さんです。
 
  田中さんは立方体を切ってゆくうちに、のちに『ちえの小筥』と名づけたパズルにゆきつきます。中学生たちに遊ばせると、思ってもみなかったほど興味を示したことにすっかり嬉しくなり、次々と新しい形の切り方でパズルを作るようになりました。あるとき、このパズルは銀行の景品として採用され、50万個が出たといいます。
バラ、百合、菖蒲、紫陽花などの花になぞらえた立体を切り出したシリーズも作りました。“直線図形で、立方体の幾何学的な美しさと調和を保ちながら、花という有機体の優しい、やわらかな美しさを表現”(著書『たのしい立方体ーちえの小筥 パズル雛』日新報道 から)したかったのですが、満足のゆくものではなかった、と今でも改良版を考えていらっしゃいます。

田中さんの代表的な作品となる『パズル雛』シリーズの始まりは、外国へ行く姪ごさんの「おみやげ用の日本情緒のあるパズルを作って」とのリクエストに応えて、お雛さまを作ったのがきっかけでした。試行錯誤のすえ、高さ40cmほどの七段飾りを揃えた雛飾り一式が完成しました。お内裏様2人、三人官女3人のなかに五人囃子がすっぽりと入り、左右大臣のなかにはお道具類、五人囃子のまたそのなかに仕丁3人と桜橘などなど、幾重にも重ねて入れることを思いついたときに、七段飾りが可能になりました。小さな立方体に和紙を切って着物の部分を貼り、お内裏様のお顔などは筆で描きます。田中さんは“この限られた空間にも、もう一つの「無限」が存在していたのです(理論上)”と書いていらっしゃいます。手のひらにのるほどの小さな箱に収まった雛飾りは「科学技術庁長官発明奨励賞」を受けました。さらに、このお雛さまは、“もっと小さくならないかしら”というお客さまの要望に応えて、中でも一番小さいサイズで内裏様と三人官女だけのかわいい雛飾りを作りました。これが人気となり、いくら作っても間にあわず、来る日も来る日も悪戦苦闘することになったと、当時を振り返っておっしゃいます。この他にも、「白雪姫物語シリーズ」「水族館シリーズ」「民族衣装シリーズ」など、たのしい立方体の遊びが生まれました。
  数学好きが高じて立方体パズルを作るようになった田中さんですが、著書のあとがきにこのように記していらっしゃいます。「長いようで短かった八十年。悲喜交々の八十年。やっぱり人間として生を受けた幸運を思います。女性でありましたが為に学問らしい学問はさせて貰えませんでしたけれど、若き日の夢捨て切れず、三十歳も半ば過ぎてから、数学ならば実験がないから家ででも出来るだろう、と独学での勉強を始めました。、、、」
数学の勉強を本格的に始めたのは、何と、結婚し子供を育てながらのスタートだったのです。本人の熱意を応援しようとの夫の力添えもあり、著名な数学者から直接学ぶことができたことも幸運だったでしょう。最初は本気で相手にもしてくれなかった学者たちも、田中さんの粘り強さに根負けし、ひらめきを見せる才能に驚き、次第に力をいれて指導してくれるようになりました。
愛媛県新居浜に住んでいたころ、独学の主婦でありながら、高等学校の数学の非常勤講師に招かれました。田中さんの数学に取り組む姿を生徒たちに見せてやってほしい、と見込まれたのです。今思えば、“よくもあんな無暴なことをしたものだ”と書かれていますが、このときも、ご主人は“是非やりなさい”と後押ししてくれました。ご自身も引退後、大学の教壇に立たれたスペシャリストとして、妻の才能を伸ばしてやりたいとの思いがあったのでしょう、と田中さんは懐かしそうに振り返ります。
同じ著書のなかから、「辛いことも,悲しいことも、嫌なことも、生きていれば次々と起こります。また、臍を噛む思い、心がきりきり痛む大きな後悔も何度くり返したことでしょう。でも、夫の理解と励ましに支えられて何とか夢中になっていた時は、その時は、最高にしあわせでした」
今でもパズルを作るのに忙しく、またそれを楽しんでもいらっしゃる田中さんの生き方から、たくさんのことを学んだ気がします。こんな風に年を重ねることが、自分にとってはむろんのこと、周りの人々にとっても、途方もなく素晴らしく豊かなことであることを教えていただいた気がします。

  『たのしい立方体 ちえの小筥 パズル雛』
   著者 田中早穂子
   出版 日新報道  
   ISBN4-8174-0567-8 ¥1200+税
 
    (2009/3 よこやまゆうこ)

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