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『地中海航海日誌その7 <Pisa(ピサ)とLucca(ルッカ)散策>』

Livorno(リヴォルノ)の港から30分ほど走り“あの”ピサの斜塔を見に出かけた。塔はドゥオモ広場の一角にある。地上55m、5.5度まで傾いたとき倒壊の恐れから閉鎖、修理が行われ3.99度まで戻された。
そもそも起工されたのは1173年。すでに初期工事で傾きがわかっており、修正しながらの建設となったため200年もかかっての完成となった。計画では遥かに高い鐘楼となるはずだったが、地盤の地質が不均質のため、この高さでの完成となったらしい。学者によればこの先300年は大丈夫ということだ。
それにつけても、愛想のない世界遺産である。あまりに斜塔が有名なためか、さらに魅力的にしようとの気配は全くない。大聖堂も周辺建造物も、あきれるばかりにそっけなく殺風景。これは仕方ないとしても、修理もされず、管理もよくない。297段あるという塔の階段を登りたい人々の列もできていたが、you tubeですませた。今回初めて日本人、中国人旅行者のグループと出会った。
あっけなくピサを去り、さらに30分ほど走ってLucca(ルッカ)へ。サイクリングが国民的趣味として人気の国柄か、一人で、またグループで一隊をなして自転車が連なり走る。慣れたもので後走車はタイミングをはかり上手に追い抜いてゆく。高台に位置するためか植生も少し異なり、背の高い落葉樹が葉を茂らせている。
ルッカは周囲4kmを城壁で囲まれた城塞都市。エトルリア人が開き、ローマ植民都市となり、紀元前90年に自治都市となり、共和制ローマ期に第一回三頭政治を組んでいたポンペイウス、カエサル、クラッススの三者がルッカ会談を持った町。まさに西洋史で学んだ記憶のある歴史の町に立っている。その頃の日本は弥生時代。まだ文字がなかったので中国の歴史書の記述で知りうるのみ。
その他にもルッカは19世紀にはナポレオン・ボナパルトの妹エリザがこの辺りを統治する地位を与えられていたとか、絹織物の交易で栄えたとか、プッチーニ生誕の地とか、長時間滞在すればもう少し深く見られただろうに、気力体力低下にて早々に退散。帰路のハイウエイ両側には、花を終えたひまわり畑が延々と続いていた。
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(2013/8 よこやまゆうこ)

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