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『地中海航海日誌その10 <Chios(ヒオス)の僧院と廃墟住居跡探索>』

8月26日。復活祭のロケット花火祭で知られるエーゲ海東部の島Chios(ヒオス)に停泊。僧院や廃墟があるというのだがやや期待薄で出かけた。ところが、なかなかのもの。長い歴史のなかでギリシャ人、ユダヤ人、オットマン・トルコ人などが入り乱れ侵略が繰り返された上に、1881年の大地震による大崩壊もあった。観光客も少なく、穴場といったところだ。
日曜の午後の浜辺では、地元の家族がどこまでも透明な海で子供を泳がせたりしている。7kmしか離れていないトルコのイスミール側を見晴らす浜に、無名水夫の碑が建つ。海運業に貢献してきたギリシャ人水夫は島の誇りだとガイドが言う。農業に不向きな荒れた土地を離れ、眼前に広がる海に出て行ったのは必然だったのだろう。ヒオスの主産業は、政府直轄のマスティックと呼ばれるウルシ科の樹木から採れる樹脂。漆喰、接着剤、薬、ガム、飴、化粧品などに使われる。ウーゾという酒にも入っている。ウーゾは馴染みにくい味だが、病みつけばぞっこんなのかもしれない。
  Nea Moni(ネア・モニ)僧院は九十九折りの先の山中にあった。“ビザンチン芸術の第二黄金期”として世界遺産になっている。11世紀半ばビザンチン王コンスタンティン9世により建立。天井のモザイクが見事。稀少な大理石も多用されている。天井ドームは1881年の地震での崩壊のままだが、残った部分だけでもその芸術性の高さがわかる。現在は92才の尼僧がたった一人で管理しているという。町では後継者を募集中とか。標高600m、夏の灼熱、冬の寒風という環境で、一人で僧院を持ちこたえる大変さは、物心両面において想像を絶する。
  山の反対側に回るとゴーストタウンとなった住宅跡が小高い丘のてっぺんに岩肌にへばりついているのが見えてくる。敵に見つかりにくいよう周囲の山と同じ石で作られたのだとか。漁師や水夫の家だったが、1821年のギリシャ独立戦争後の殺戮により、400軒は放棄され荒れるに任せている。何故、海を仕事とする人々がこのような不便な山中に隠れ住まったのかは聞き逃して不明。それほど侵略と皆殺しへの恐怖が強かったということか。フラットな屋根に貯まったわずかな雨水が生活水のすべてだったとも。ANABATOS(アナバトス)no access近づくこと能わずとの標識が立つ。裂けたトルコ国旗が強風にはためく脇を、息を弾ませて頂上まで登れば、一望の景色は荒涼として美しかった。過去の栄光と中世〜近代の混乱と現在の困難、ギリシャの船首は何処を向いているのだろう。
※各写真をクリックすると拡大します
  10回にわたり旅行記を記しましたがこれにて完。旅先からの作文で検証も浅く間違いもあるかもしれませんが、お許しを。毎回読んで下さった方、ありがとうございました。  
 
(2013/8 よこやまゆうこ)

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