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<番外編><シリーズ・私のたからもの>『伊田郁子さんの宝物 無地・縞・格子の布』
こちらでご紹介した染織家伊田郁子さんの宝物は、日本各地に残る無名の女たちが染め織った日常の着物地。今まで誰も関心を払わず、使い古され捨てられていた無地・縞・格子の布です。興味ふかい追跡譚です。
   今までは考えてもみなかったのですが、“たからもの”と言えるほど大切な物を私は何1つ持っていないことに初めて気がつきました。私にとってそれに相当するのは、もしかしたら出会った人達、訪れた処、経験したことかもしれません。人との出会いは偶然のことが多く、その中の1つ、英国人の若い織物作家と桐生で出会い、その後10数年に渡り、英国と日本、両国の博物館に収蔵されている織物を見、研究者を訪ねて歩いたことは私にとって貴重な経験になりました。
   両国の織物の歴史は大変幅広く、奥も深いので、調査の範囲を2人が共に関心を持つ無地や縞、格子に絞って、それらの共通点と背景に持つ文化の違いから来る相違点、そして歴史に焦点を当てることにしました。既に両国には多くの研究があり、本も多数出版されていますので、当初はある程度のことは簡単に分かると考えていましたが、すぐにそれが間違いだと気付かされました。なんとなく耳にしていたことには確証がなく、かえって不明のことが多いことが分かって来ました。
   そんな中、多くの資料を見て話を聞くうちに、私は次第に、江戸時代に日本国内で作られていた縞や格子の布に興味を引かれるようになりました。縞柄の着物は江戸時代以降です。浮世絵や文献には格子と共に多様な物が出て来ますが、博物館には江戸時代に作られたとはっきり分かっているものが、意外に少ないことに驚きました。それらしい布があってもデータがないものが多いとも聞きました。
   沢山の布を見ているうちに、1つの疑問が湧いて来ました。18世紀後半の結城の縞や上田縞、そして桐生の多様な織物、それらは江戸で流行り、大量に売れたと聞いていたのに、端切れすらありません。あちこちで尋ねたのですが、見たことがあると云う人に1人も出会うことができませんでした。そんな折、上田に住む人から「街道沿いの昔呉服屋だった廃屋の解体現場にあった、埃だらけの風呂敷包み中に、古い布が沢山入っていて、良い物のような気がする」という話があり、その後それが送られて来ました。包みを開けて出てきたのは地味な色目のごく細かい筋、縞、格子の布で、今まで見たことのない上質な絹の織物でした。
   何度も洗い張りをされ、大切に扱われていたもののようで、見たところ、経糸は生糸、緯糸はごく細い紬糸や生糸等で平織や、1部に斜子もあり、艶はなく、全体的に黒っぽく、でも洗練されたデザインで大変洒落ています。江戸の戯作にある「艶なし上田」「細格子の上田縞」そのもののように見えました。でも残念なことに、私が会った研究者の方たちも実物を見たことがないので「上田縞」であると特定することはできませんでした。
   桐生に住んでいて、織物業界の只中にいましたが、江戸時代に大量に生産し、販売したと聞く「お召」を見たことのある人に今まで出会ったことがありませんし、結城では織物問屋を『縞屋』と云っていた程なのに、「結城の縞」を見たことがないとも聞きました。
   その頃は、まだ資料として残す習慣がなかったこともあり、盛んだった産地ほど、後に何も残っていないそうです。この調査をする前には、江戸時代が私達からこれ程遠いとは思ってもいませんでした。
   上田からの布は、今後研究をしてくれる人のために、日本民藝館の収蔵庫に、そのままで保管をお願いしました。

伊田郁子・群馬
(2022/1 よこやまゆうこ)

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