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竹紙を漉くひと 小山久美子

長野県の国道141号線を北上すると、佐久市の北、小諸の西あたりに北御牧村という、その名のとおり牧歌的な里山がある。夏休みの一日、カーナビだけを頼りに、町を縦断し盆地を駆け抜け山を超えて、休暇を過ごしていた野辺山から2時間のドライブで、小山久美子さんが竹紙を漉いている勘六山を訪ねることができた。 後で知れば噛み癖のある猛犬たちが、その時は吠えもしないで出迎えてくれた。

小山久美子さんは、勘六山の主である作家水上勉さんのために「竹紙(ちくし)」を漉いている。その紙に水上勉さんが竹筆で描かれた絵と文章は『サライ』で「折々の散歩道」と題して連載されており、もう10年も続いている。見開きに竹紙に描かれた季節感ある絵とそれにちなむ短文が載っているこのページは、新しい号を手にするとまず先に開いてみる、『サライ』のなかでも特に私の好きなページだ。

小山さんとはある催しで出会い、珍しい竹紙をわけていただいたのがご縁で、今夏の訪問を約束していた。勘六山の仕事場は、赤松と竹林がうっそうと茂る小高い山の上。まず目に入るのは赤松の根元に置かれている10数個の青いポリバケツ群。水の中に浸けられた竹片がぎっしりとつまっている。蓋をとると竹が出す灰汁の強い匂いが立ち上るが、有機的な匂いなので慣れることができそうだ。



作業場を案内しながら小山さんが説明してくださったことと、水上勉氏著『竹紙を漉く』(文春新書)を参考に、竹紙ができるまでを簡単に記そう。まず、間伐した淡竹を鉈で小さく割り、その日のうちに漬け込む。バケツの蓋には、伐採した月も記す。夏場に漬けた竹は白い色の紙になり、冬に向かうほど茶色実を帯びた紙になることを経験で知っているからだ。理由ははっきり分からないが、春に生まれた竹が、若いうちは真っ白で、年をとるにつれ色も濃くなるのでしょう、と小山さん。何となく納得。これを最低でも一年間は水に漬けておく。この作業を殺青(さっせい)という 。
一年前の日付が記されたポリバケツの竹は、すでに繊維がほぐれているのがよく分かる。これを3、4日川水で晒し臭いをとったのち、灰を加えて大鍋で10日ほど煮る。昆布のように柔らかくなったものを袋に入れ、さらに流水で晒したのち、石臼で挽く。勘六山の工房では井戸水を汲み上げ、丸太を刳り貫いた特大鹿おどしがのんびりとしたしたスピードで、臼のなかに入れた竹皮を打つようになっている。ゴットン・・・ゴットン・・・と10日間もやっていると竹は餅のようになり、さらにこれを木鎚で叩く。これを大きな水槽にはった水に混ぜ、自家製の漉き枠で溜漉きをする。
普通、和紙を漉くときはトロロアオイなどの粘り気のあるものを繋ぎとして混ぜるものだが、竹は何も加える必要がないという。竹の繊維が持つ油性だけで紙になるとは驚きだ。“紙漉き”は俳句では冬の季語になっているほど、トロロアオイがくさらない寒い季節に作業するものといわれているが、これなら一年中、鹿おどしのペースにあわせて漉くことができそうだ。


しかし、どの作業も体力を要する仕事だ。腰の痛さは言うに及ばず、腱鞘炎にもなりそうだ。でも、小山さんは愉しそうにそれらの作業に取り組んでいらっしゃるようにお見受けした。水上氏の、竹人形の面に竹の繊維を貼ることから始まり、ついには竹紙を漉くことまでやってしまわれた情熱は多くの人々に伝播し、次々と弟子や協力者が現れたことが、書物から読める。中国唐時代に始まり、宋のころに隆盛をきわめたまま、今では中国でも漉かれることが少なくなった竹紙を蘇らせてもう40年になるという。訪れた日は、執筆中であろう氏の住まわれる棟の横を足音を忍ばせて通り抜け、氏の妹さんと立ち話をさせていただいた。
和紙といえば楮、三椏、雁皮が三大素材となっているが、表情のある竹紙や麻紙に、絵をのせることはもちろん、屏風にしたてたり壁に貼ったりして、さまざまな素材からできた和紙の風合いを楽しめそうな気がする。
(横山祐子)


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