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『金銀箔を和紙に貼り、箔糸になるまで』

金襴から出発した金の織りシリーズは、川下から川上へと遡ってきました。
袈裟用金襴の小野内織物所、手織りで金襴を織る織匠平居に続き、今回は、箔糸のもととなる和紙に箔を貼る仕事をしている中嶋由雄さんと、それを裁断する竹内切断所の竹内勝義さんをお訪ねしました。
箔糸の起源を辿ると、2世紀ごろシリアに金を薄く延ばし細く切ったものを糸に織り込んだ布が作られ、中国を経て5世紀後半、技術者の渡来により日本に伝えられたと文献にあります。

中嶋さんは箔を和紙に貼る家業を継ぐ3代目。袈裟や豪華な帯、能衣装、仕覆などには欠かすことのできない裂地の素材を提供する裏方の仕事を続けてこられました。三畳ほどの三和土のある典型的な京都西陣の職人の住いを仕事場にしていらっしゃいます。
箔置き紙は、三椏100%で漉かれた土佐和紙に金沢金箔を漆で貼りつけて作られます。金箔の厚さは1万分の1ミリ。これを一枚の和紙に20枚ほど隙間なく貼ります。手順は、日本産漆を篦で均等につけたあと拭き取り、30〜40分放置、漆が固まりかけたときを見はからって箔を置きます。ご存知のように、漆は水分を蒸発して乾くのではなく、漆の成分が適度な湿度を得て化学反応により結びつくことで堅くなるので、乾くためには湿気が必要です。京の夏、ざっと夕立がくると急速に乾いてしまうので、金箔を置くタイミングを逸するなど、なかなか気の抜けない作業だとおっしゃいます。逆に、乾燥の激しい日には、漆が乾かないということにもなります。一度に10枚ずつ貼り、平均一日にできるのは50枚ほど。滑らかに塗るには日本産漆が最適だそうです。
  金箔を貼っただけのものは金無地とよばれ、大小さまざまの砂子や、色砂子、切り箔を撒くものもあります。金無地の箔糸は光の反射で強い輝きを見せるのに対し、砂子を巻いたものは奥ゆかしく光るので年配向きの帯などに好まれるとか。
西陣の100歳を越えたお二人、山口伊太郎・安次郎兄弟が2003年に完成させた織り布による『源氏物語』の箔糸を提供したのも中嶋さんです。35年前にスタートしたこの大作では、かな文字を織り出す下地として、さまざまな技法を駆使した箔糸が使われました。驚くべきは、金銀砂子を撒いた料紙のように見える箔置き紙を一旦細く切って糸状にし、それを緯糸として用い、かつ、かな文字が黒染めの糸で、まるで筆で書いたかのように織りこまれているということです。コンピュータを使ってのこととはいえ、コンピュータに入れるまでに必要な織りの経験と知識、智慧の集積には驚かずにはいられません。
 
さて、次にお訪ねしたのは中嶋さんが箔を貼った箔置き紙を裁断するプロ、(有)竹内切断所の竹内勝義さん。じつは、あるとき、この切断作業の現場が取材されたあと、お隣の国が技法を真似るという事態が生じ、それ以後取材はお断りとなっていたのでした。 竹内さんの工場には、大きな機械が据えられています。刃渡り60cmもあろうかという鋼製の刃をセットした切断機で、50枚を重ねた箔置き紙を切ってゆきます。帯に使われる糸の細さは0.3ミリが基準。少しでも刃に異物があたると刃が欠け、均一の糸になりません。不揃いが生じたらすぐに機械を止め、刃をはずし丁寧に磨き直すという気の抜けない作業です。
昔は一日に2〜3000枚は切っていたそうですが、今では多くて300枚程度。この仕事を続けてゆけるのが不思議なほどの減りよう。京都でも竹内さんのような切断所は4軒しか残っていないそうです。
 
こうしたさまざまな材料を作る人々の技の集積から、目映いばかりの金襴が織りだされます。金襴と呼ばれる布の輝きが安っぽいか、重厚な品格をたたえているかは、使われる素材そのものと共に、それらを創り出す技にかかっているようです。
日本の伝統工芸の手仕事は、人件費が高騰するにつれ、中国などアジアの国々に自ら技法を教えて作らせるということが盛んに行われた時期がありました。流通からは安価で上質な仕事を求められ、一方、作り手の現場では人件費を減らすことができないため、ますます需要を減らし、遂には廃業に追い込まれる、という事態が生じます。伝統の習熟の手仕事がこの国に残るかどうかは、良いものの価値を認める使い手の判断にゆだねられています。
 
    (2008/5 よこやまゆうこ)

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