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<番外編>『ティンギーさんを悼んで』
    『from Noto』 というサイトを書いていた William R. Tingey さんが、昨年11月にイギリス Hereford, Hay-on-Wye で亡くなりました。享年77歳でした。
    ティンギーさんとは長く共に仕事をしてきたので、戦友のような友人でした。1976年シベリア鉄道で妻のLouさんと来日、東京芸術大学で建築を学ました。24年間日本に住み、2000年に2人の日本生まれのお子さんの教育のため帰国しました。
    彼の日本語能力は並のものではなく、曖昧な日本文の言わんとするところを的確にキャッチし、それを分かり易くかつ格調ある英語に置きなおす能力の持ち主でした。彼との仕事はもっぱら日本の伝統工芸に関する記事、出版物の翻訳作業でした。その成果物の1つが、1996年に講談社インターナショナル社から出版された『JAPAN CRAFT SOURCEBOOKJ』(6年後に『JAPANESE CRAFTS』と改名)という本。その顛末は こちらでご紹介しました。
    その18年後、『from Noto』と題したウエブサイトを作りたいと思いました。財団から助成金を受け、能登半島の自然、歴史、文化、工芸、人々について、英文で紹介しようとの試みでした。
    ティンギーさんはこのミッションに最適な人物でした。彼は1ヶ月以上にわたり輪島に滞在し、小さな車に大きな体を押し込み、能登半島津々浦々を訪ね歩き、土地の歴史や文化を取材し、人々に親しみ、漆工芸家の仕事ぶりを精力的に写真に収めました。彼は優れた写真家でもあったのです。人なつこい彼は地元の人々にすぐに受け入れられ、共に地酒を痛飲し、そのまま泊めてもらったりと、すっかり取材を楽しんでいました。毎晩のように電話でその日の出来事を報告してくれました。その様子は、こちらでお知らせしています。
    『from Noto』の更新は2019年11月が最後になり、その頃から体調を崩されてゆきました。この度の能登半島地震のほんの1ヶ月余り前に亡くなったティンギーさんが、その惨状、漆産業を見舞う大打撃を知ったら、どれほど悲しみ深く心を痛めたことでしょう。
    この震災で大きな被害を受けた年配の漆職人さんたちは、住む家に加え作業場を建てなおし、地震前と同じ作業ができるようになるでしょうか。すでに離職者がたくさん出るだろうと口にする関係者もいます。以前と同じ収入を得るまでにどれほどの時間がかかるのでしょうか。それまで暮らしを持ちこたえられるのでしょうか。漆は分業であり、木地を挽く人、下地を塗る人、上塗りの人、沈金師、蒔絵師などの専門職が集まって、産業としての輪島塗が成り立ってきました。どの部分が欠けても滞りない作業は停滞します。
    世界を見渡しても、日本の漆器ほどのクオリテイと多様性を持つ漆工芸は存在しないと言っても過言ではありません。私たちは、昔のように、漆器の美しさを楽しむ心の余裕ある暮らしぶりをとりもどしたいものです。

ティンギーさんのご冥福を心からお祈りいたします。
ほんとうにお疲れさまでした。      
(写真は全てfrom Notoより)
(2024/1 よこやまゆうこ)

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