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<番外編>『Wisdom Toolkitというウエブサイト』
    SideStory287や 、SideStory425で亡きお母様に代わって「わたしの宝物」に寄稿してくださった吉澤 朋さん。今回は、彼女が一昨年に立ち上げた英文による日本の手仕事のサイトを、ご自身の筆でご紹介していただきます。その前に、彼女がなぜそのサイトを作られたのか、について少しだけご紹介を。
    お母様の宗廣桂子さんとの出会いは18年ほど前のことになります。飾らないお人柄に惹かれ、長野県小諸に近い工房をお訪ねしました。郡上紬を興した人間国宝の父・宗廣力三の娘として、気負いなくマイペースでご自身の染織りを続けていらっしゃるお姿が印象的でした。「工房探訪36」
    その頃、朋さんはまだヨーロッパ在住で、母の工芸を継ぐ様子もないことに、こちらが気を揉んだりもしました。手仕事は少しでも若い時に身近に師の仕事を見、肌で感じることが上達の早道であることを、50の手習で苦心惨憺した経験からわかっていたからです。帰国後の朋さんは、今、工芸界で注目を浴びる奈良晒の老舗中川政七商店に勤められ、改めて日本の工芸のこと、流通のことなどを経験されました。そして、今回の英語によるサイトの立ち上げに繋がっていったとお見受けしています。
    ほぼ四半世紀も前、2000年を期してこのHPを立ち上げたときは、海外からの旅行者数は今とは雲泥の差。日本文化に対する知識も親しみも今は比べものになりません。だからと言って、今、日本の手仕事の品々を日常的に使う外国人が増えたか、と言えばおそらく別問題。アートとして高く評価される美術工芸はともかく、朋さんの関わる民藝は数を作って日用品を制作する作業です。
    これからの朋さんのお仕事が、PR作業を車輪の片方に、もう片方の車輪はビジネスとして成り立つことを心から願います。作り手たちにとって、情報として知られることと、作品を購入し使ってくれることとの間には、大きなへだたりがあります。手仕事が継承されてゆくためには、まず、彼らの暮らしが成り立つことが大切なことは、言うを待ちません。
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鉋をかける琴職人の父・吉澤 武
    一昨年の暮れにWisdom Toolkitというウェブサイトを立ち上げてから1年以上経ちました。これは、私が今まで出会ってきたつくり手やお寺の和尚様の言葉を、もっと多くの人に知ってもらいたい!という思いで立ち上げたプラットフォームです。
    日本の手仕事を英語で伝えるサイトが少ない、とも感じていたので、まずは英語だけでスタートしました。色んな準備が整っていないまま、完全見切り発車でオンラインショップも併設したのですが、ご報告のメールに「おめでとうございます!後は、ビジネス!」と横山さんらしい励ましのメッセージをくださったことを覚えています。
    ビジネスの点で言えば、まだまだ…ではあるのですが、このプロジェクトに並行するように起こった動きが興味深く、そのことをお話ししたくて、今日は書いています。


郡上紬の塾生たちと。
前列左手が祖父・宗廣力三、後列右から2番目が祖母・都生子(ときこ)
・民藝との再会
    父は琴職人、母は紬織の染織家なのですが、近くにいる人のことほど、知っているようで知らないものです。改めて家族の仕事のことを掘り下げて、民藝運動の中心人物である河井寛次郎から導きを得て、郡上紬を興した祖父・宗廣力三の生き方など、「民藝」という切り口から紹介していた頃。
    ちょうどイギリス・ロンドンのウィリアムモリスギャラリーが今年3月から開催する民藝展Art Without Heroes に先駆けた調査旅行の企画と帯同を依頼されたのです。
    限られた時間の中で、祖父の故郷である郡上八幡も訪れ、郡上紬と伯父・宗廣陽介のコレクションに触れ、さらに益子、盛岡といった各地を訪れました。
    「藍染、刺し子、陶芸…」と、先方の希望に応えて候補がいくらでも出てくる自分を発見しました。民藝は私の知識のホームグラウンドなのかもしれない、と思ったのです。そして調査で訪れる先々で温かく迎えられ、「民藝」のもの、ひと、文化にどっぷり浸かった2週間弱となりました。

・民藝の仕事が続く
    その調査旅行では生まれ育った長野県を訪れることはできなかったのですが、ふるさとにも民藝を土壌にたくさんの手仕事や文化が根付いています。今なら一世紀前の民藝運動第一世代の言葉を直接伝えることのできる人もいる、それを記録に残していきたい…と思っていたところ、信濃毎日新聞で「人で巡る信州の民芸」の連載の機会を頂き、9月にスタートしました。
    さらに、京都の河井寛次郎記念館が開館五十周年を記念して刊行された写真集で、河井寛次郎の言葉を英訳する機会も頂戴したのです。「暮らしが仕事 仕事が暮らし」など、私の生き方の指針となってきた言葉を英語で伝える仕事…。喜び勇んでお受けして、始めてみて、その役目の重みに気がついた次第ですが(ここも見切り発車?!)、エリザベス・アデマンという強力な助っ人がいてくれたお陰で、納得の翻訳に辿り着けました。
    仕上げは12月に招待されたタイ・チェンマイのデザインウィークです。漆芸、木工、陶芸、染織など手仕事がまだ残っているタイ北部で、その文化を現代に繋ごうと奮闘するデザイナーの方の熱意で始まったプロジェクトでした。民藝についてのパネルディスカッションに参加し、現地のつくり手の方と交流する機会を頂きました。これも、ウィリアムモリスギャラリーの調査旅行にご協力くださった民藝館の古屋真弓さんが繋いでくださったお仕事でした。

タイのデザイナーを取材する筆者
・そしてこれから
    今年は、オランダ人起業家の方が構想する新たなオンライン教育プラットホームへの参画が大きな柱になりそうです。日本には、西洋の社会で忘れられてしまった大切な何かが残っている。それはお茶や禅、神道、武術そして手仕事といった文化の中に、形はなくとも知恵として残っている、それらを世界に提供していこうという企画です。多くの人との協同で作りあげていくことになりそうです。

    私が今「文化の翻訳家」としてライター・翻訳業に携っているのも、職人の両親のもと、世間一般とは少しずれた、ものづくりの世界ならではの価値観にどっぷり浸かって育った結果なのは間違いありません。年度単位の効率や成果で計れる価値とはちょっと違った物差しが存在するのが手仕事の世界だと思います。その物差しは、手をつかって自然の素材と向き合うことから見えてくるもの。数字やロジックが大手を振って歩く現代にも、新鮮な選択肢の提案となるのではないか、と思っています。

    私の人生にずっとあったもの、大切に思っていたことが、Wisdom Toolkitを立ち上げたことによってより明確になりました。そのひとつが「民藝」という切り口です。今後はそこを足場とし、より広い世界に伝える仕事をしながら、常に帰って来られる場所としてWisdom Toolkitを育てていこうと思っています。

    見切り発車した電車が一回りする頃には、乗客がきちんと乗り込めるように駅や改札、周辺環境も整っているように。電車と周りの環境、両方を磨いていく2024年になりそうです。
吉澤 朋

河井寛次郎記念館写真集(一部英文併記)
(2024/3 よこやまゆうこ)

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